魂の在り方と意識・感覚

魂の記憶をたどる旅

ルンビニ チベット寺院にて

たった今、ブッダガヤに戻ってきました。

ブッダガヤからスタートして、仏教聖地をめぐり、ブッダガヤに戻ってくるルート。

正直、行ってお寺見てすぐに次の場所へと移動しなくてはいけないスケジュールに嫌気がさしながら、
「だからタクシーで行くのは嫌だって言ったじゃん。」
と、せっかちな運転手にいらいらしつつも、
電車やバスで回るには不便すぎる場所だし、私にもっとお金があって運転手に「お金払うから、ゆっくりさせろ」って言えれば問題ないんだ、と。

一番行きたかった、ネパールのルンビニでも、
気になっていた祇園精舎でも、
ゆっくりと瞑想はできなかった。

早く日本の自分の瞑想部屋に帰って、瞑想したいと、ずっと思っていた。

ガイドもかねて付いてきてくれている友人と、運転手が「また瞑想?」とそわそわしながら近くで待つので、
「プリーズ!!leave me alone for 30 minutes!!」と、何度追い払ったことか。

今回のたびは、なんだったんだろう。
それぞれの場所に、深く感じることは確かにあっても、それを深く味わっている時間がない。

これまで、いつも一人で心ゆくまで味わうことができるインド滞在ばかりだった。
今回は時間がなさすぎる。

こんなにあせって来る必要はなかったんだろうか。

まぁ、いいか。

それでも、最低限の日課の瞑想だけは欠かさずに、それ以上は深く求めずにいよう。
その土地に行って、今の私にわからなくても、影響は受けているだろうし、

必要ならば、必要なことが起こるし、

必要でないならば、必要でないことは起こらない。

心が何かを求めるたびに、そんなふうにマインドを切り替えて、

only God knows.
神のみぞ知る。

と思っていた。

ただひとつ、日本を発つ飛行機の中で自分が求めているものがただただシンプルであることに気づいた。

どこまでもシンプルに、ひとつのことを求めてやまない。

神に近づきたい。
神に触れたい。
それが何かを、知りたい。

ただただ、欲しいのはそればかりで、そう思うことを許されるだけで、生かされていることを尊く思う。

バランスを整えることとか、頭を整理することとか、
ストレスを軽減することとか、日常の中でより良い行動を選択できるようにとか、

ヨガにはもちろん、そういった効果もあるし、それはとても大切なことだけれど、

でも私がヨガをしている理由は、きっと昔からただ それ を求めているだけなのだ。

今朝、この1週間の仏陀の足跡を追う旅行の最後だった。
仏陀が最初に説法を行った サールナート。

その中にある、仏陀が座って瞑想していたとされるお寺の名残のところで、ほんの少しだけ座った。

ちなみに、どこもかしこも仏教巡りのグループと率いるお坊さんたちでにぎやかで、なかなか瞑想することがきないけれど、
二回目にそこを訪れたらちょうど前の団体が引き払った直後で誰もおらず、
日陰を見つけて座ってみた。

5分だけ、一人にして。と連れに頼んで。

その5分だけは、守られたように人が来なかった。
(個人の旅行者が来ても、写真を撮られてしまうから、ホントおちおち瞑想してられないの!!笑)

サールナート

プラーナヤーマもほんの数回、すぐ目を閉じて呼吸を整えた。

呼吸を整えたのかどうかもわからないほど、すぐに深いところへと入っていった。
そして、とてもたくさんのことが起こった。

とても長い時間、とてもたくさんのことが、  ”起こった”。

それ以外には言い表せない。

時間は本当に5分くらいだったらしい。
でも盛りだくさんだった。

瞑想の先生から、今回の仏教聖地巡りに関して、

その場所に残るエネルギーや何かにつながろうとしたり、何かを求めたりすることなく、
ただ基本に忠実に、内側へと向かいなさい

と釘をさされていた。

そこにはるか昔、仏陀とその弟子たちが過ごした場所があって、そこで息をすえるのに、
それを吸い込まずに自分自身の内側へと委ねていくことが、できるだろうか?

目の前に、(危険がふくまれているとしても)輝く魅惑的なものがあるのに、それよりも、自分自身の内側にあるそれ以上の宝を、しんらいできるだろうか?

そんなことを日本でふと思ったけれど、来てみたら意外と簡単だった。

その土地の神聖なものが、私の導きに必要であれば、
私が自己を信頼すればするほどに、私の行く道を導いてくれる、
ということに疑いがなかった。

そして、今朝も私は内側へとただとどまった。

何も引きだそうと考えていなかったし、
もはやこの旅の途中で何かが起きるとは思わなかったし、
このときにあった思惑は、ただ「今日は朝の瞑想をまだしてないから、とりあえず5分でもできるときにしておこう」と思うくらいだった。

でも、目を閉じて呼吸をするかしないかのうちに、それはもう始まっていた。

とてもたくさんのことが起こって、そしてそのほとんどは思い出せない。
ただ、大切なことがたくさん解決されたと思う。

私がいつも気をつけていなければいけないこと。
どうして、今この状態なのか。
どうして、私なのか。
この魂が選んできたこと、そしてずっとずっと昔から求めてきたこと。
それを忘れて、悲しみの中を楽しみ続けてきたこと。

それでも、  それ  は常に内側に共にあったこと。
私を守り導いてくれるだろう 色。

そして、一年半前、初めてブッダガヤへ行ったときから・・・

いや、二年半前、インドでヨガを始めたときから、ずっと意識の片隅にあった記憶が、
その時の私が、ずっと求めていたものの元へとやっと帰り、一つに溶けていくような感覚があった。

ずっと、わだかまりがあって、素直にひざまずいて それ の元へと帰れずに、でもずっと それ を欲して欲して悲しんできたその人が、
喜びの中でやっと・・・・

欲しいほしい、ここにいて欲しい、どこにも行かないで欲しい、
私だけの・・・ここに、いて欲しい

と子供のように欲しがってきたものが、手を伸ばして声をからして叫ばないと手に入らないと思ってさまよい歩いてきたものが、

自分自身が、ただここに認めれば、いつでも一つになれたのだと、

頭ではなくやっと理解して、溶けていった。

私であって、私のことではなかった。

私の出来事ではなくて、私だった。

ブッダガヤに戻ってきて、ホッとしている。

初めての場所というのはどこでも、そこの土地のエネルギーに慣れるまでに数日かかるのに、
一泊だけで移動してきて、エネルギーがざわついてるから。

ゆっくりと消化しよう。

sadhu sadhu sadhu…

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