魂の在り方と意識・感覚

魂の記憶を辿る旅

どうやら、私は根っからの真面目もの・・・。

なのでしょうか?

「早く帰ってこなきゃ」とか、「行くなら、思いっきり勉強しなきゃ!遊びの旅行なんてしてる場合じゃない!」

なんていつも思ってる。

前回6ヶ月インドにいた時だって、別に個人で好きに行ってるんだし、その6ヶ月をどう過ごそうと勝手なのに、
「修行にきてるんだから、無駄に観光したりなんて・・・」
って、ずーーーーっと必死に学ぼうとしてた。

電話口で母親が「・・・あんたは、欲が強いから・・・。別に、休めばいいのに・・・。」って
勉強したい欲に駆られまくってる私にため息をついていたっけ。(笑)

今回も、当初は思いっきり勉強を詰め込もうとしていました。
勉強といっても、教科書持ってアレコレって訳ではなくて、ヨガの先生と禅問答を繰り返したり一緒に迷走するのが主かと思いますが。

あ、瞑想・・・。うん、多分、迷走の方が合ってるんだろうな・・・。

でも、「学びたい欲」 「高めたい欲」 は依然として強くあるものの、
少し成長してきたのか
今まで教わったことを、こなせているのか???
って意識がある。

知りたい知りたいって外に求め続けるのは、簡単なんだよね。
もちろん、知りたい知りたいって強く思っていたから、教えてくれる師たちにたくさん出会えてきた。

求めてきたことを、教えてくれる師に出会うようになったからこそ、
教わった一つ一つを、 実行していく のが、大切だと以前よりずっとココロの奥で納得できる。
以前にもここで、記事に書いたね。「神はどこにいるの?」

欲望を満たすために、お腹いっぱい食べても、全然満たされない のと同じように、
成長したいからといって、知識を脳に詰め込んでも、私は満たされない。

ヨガのステージをあげるためにも (つまり、魂の成長をより促すために)
今回、しなければいけないことがある。

それが、魂の記憶を辿ること。

その土地、その土地に置いてきてしまった、その当時の感情を、拾いに行く。

移動や旅が苦手な私には、かなりのハードル。(笑)

実は、大好きな彼のことも、いつも二の次にしている・・・。
もうすぐ会えるのに、「彼に会う時間がもったいない。ヨガの修行に行かなきゃ」なんて気持ちすらあった。

でも、今日ふと「もうすぐ本当に会えるんだ」って思ったら、嬉し涙が出てきて、

「会いたい気持ちとか、一緒にいられなくて寂しい気持ちとか、感じたら離れて暮らすのが辛いから、感情に蓋をしてたんだ」
って気づいた。

自分の感情には素直なつもりでいたのに、感情に蓋をしたら、「感情に蓋をしている」なんてこと全然わかんないものだな。って不思議に思った。

素直に、きちんと会いに行こう。って思いました。

グルとして尊敬しているスワミが私の先生にいつもいっているらしい言葉。

「今生では、私がお寺に仕え、お寺で一生を過ごす運命に生まれた。
 私は、一生を神に捧げ、女性を知らず、真理を学び、追求していく。
 それが、私の役割だから。
 祈り、瞑想し、力を高め、それを伝えていく。
 教えられることはなんでも教える。
 最低限のここでの修行が終わったら、すぐに日本に帰りなさい。
 日本に生まれ、家族や友人たちと過ごせることを楽しみなさい。
 日本で働き、自分のするべきことをしなさい。」

どこかに書いたかもしれないけれど、私にはこのスワミが、今生をこうして過ごしていてくれることが、嬉しかった。

だから、私は、家族と過ごせる今回の人生を楽しめばいいんだ。
働いて、世の中と関わることを、したかったから、ここにこうして生まれてきたんだ。

ここでしたいこと、過去にできなかったことがあるから、ここにいるんだ。

ここにいられることに、感謝して、喜ぼう。

そう思えた。

お正月、家族が揃っている、ただそれだけのことを、こんなにも嬉しく感じたことはないほどに、幸せだった。

今度、彼に会ったら、ただ一緒にいられるその時を、そのまま味わいたいなと思う。

そして、自分を守るために平気なふりをするのではなくて、素直にいられますように。

ハッキリとわかっているわけではないけれど、
行かないといけないところは、もうずーっと情報が来てる。

多分、彼と一緒に行ったほうがいいのだということも。

それを、少しでも消化したら、きっとまた魂がちゃんとここにいられるようになる。

今回、生まれてきたことが、ありがたい。


Misa