私は、ヨガをしていてもずっと辛かった。
今だってこれからだって課題はまだまだあるけれど、
それでも以前とは比べものにならない程、楽になった。
ヨガのクラスに出るとスッキリする!気持ちがいい!!
と友達は言うけれど、
私は気持ちよく身体と心がほぐれると、向き合いたくないものが湧いてくる。
その一つが、
「別離」
だった。
「生まれてきたくなかった」
そう思ってた。
「生まれなければ、地球と分離することもなかった。」
「地球に帰りたい。地球に帰りたい。」
その気持ちが強かったから、家に帰ってからよく泣いた。
それでもスローペースでヨガをしていた。
自分の中に大きな闇があるのを知っていたから、
「ヨガをしてそれを取り除きたい」
と思ってた。
だからわざわざインドへ行ったのかもしれない。
とにかく私は、課題だらけな人間だと思っていたから、インドへ行ってヨガしないと解決できないと思っていたのです。
そして、ある日思い出した。
15才頃に、私は核実験の映像を見て
「大人には地球の声が聞こえないんだ!!!」
と大泣きして
「大人になれば何か出来ると思ったけど、大人になりかけている今、自分が大人になっても何かできると思えない。」
と、地球の声に耳を閉じた日がある。
全身の感覚を閉じて、今まで当たり前に感じてたものを、感じることを辞めた。
その15才のある日のことを思い出したと同時に、
どれだけ地球が、自然が、光が、子供の頃は自分の中にあったかを思い出した。
耳を塞いで拒絶していたのは、自分だったのだと気付いた。
中学3年生の時、初めて彼氏が出来た。
でも、毎日いろんな事を真剣に話すたびに(今と全く変わらない、正義はこういうことだと思うとか、クラスのあの問題はああいう事情もあるからああした方がいいと思うとか、彼氏になった人と毎日熱く語ってたww)、
「知れば知るほどいい子だね。」
って言われて、
「でももっと知ったら、真っ暗闇だよ。そこまでは来ない方がいいよ。」
って、すぐに別れた。
その時に、いつから私の心はこんなに真っ暗闇になってしまったのかな?
思い出せない・・・。
と思ったのを覚えている。
そこから、23才までは本当に真っ暗闇で、とても辛かった。
それが、闇はあるけど、心全部が真っ暗闇ではなくなったのが、上に書いた「感覚を閉じた日のことを思い出した日」。
それでも、やっぱり私は肉体を持っている以上地球とは分離しているので、悲しかった。
その後も、レッスンのたびに、「地球に帰りたい」と思っていた。
それでも、どんどんどんどん自分の軸とちゃんと繋がるようになってきたら、
いつのまにか地球との分離とは思わなくなった。
肉体を持っていたら地球とは物理的に(?)離れているのだけど、そうじゃない。
今も私は生きてるけれど、地球とは離れていない。
ちゃんと繋がっている。
私は地球の中で地球の一部として生きている。という事が今は全然ぶれないのです。
だから、レッスンでよく身体を大地に受け止めてもらっている感覚を誘導するのは、
あの感覚が私が一番好きだから、かな(笑)
すっごく安心して地球の中央へと引っ張る「重力」に委ねてしまっていいんだよ。
私たちは地球の子供で、地球そのものでもあるんだから。と。
ワンネスってタイトルにしたけれど、ワンネスを説明するのはまだまだ難しいなぁ。
ただ、この地球の話だけじゃなくて、
私はどの方向からヨガしてたって、いつも結局「ワンネス」なのだと思い知る。
どの哲学やってても、どのクラスを受けても、
言葉が変わっても行き着く場所は一緒だなぁと思う。
そしてそれを知ると、不幸じゃない。
大変なことがあっても、大変じゃない。
辛くても、辛くない。
同時に絶対大丈夫な安定したものがあるんです。
私は今後、この絶対大丈夫な安定したものとの繋がりを、もっと太くしていくことが課題です。
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